絵画の準備を!
絵画の準備を!
READY FOR PAINTING !
松浦寿夫 著 / 岡崎乾二郎 著
定価: 3,080円(本体2,800円+税)
在庫: 品切・重版未定
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いとうせいこう、浅田彰、島田雅彦三氏推薦!
「読者はつねに新鮮な発見に満ちた議論を追いながら、自ずと凡百の美術書をどれだけ読んでも得られぬ知見を得ることができるだろう」(浅田彰氏) いとうせいこう、島田雅彦両氏も絶賛。
セザンヌの描く人物の不思議さが、こんなにも生き生きと語られたことがあっただろうか? 画家にとって上手い/下手とは? モダニズムがなぜ今要請されるのか? カントの命題を映画『マン・オン・ザ・ムーン』に重ね合わせ、ベンヤミンの思想を召喚して日本国憲法を論じる。マティス、デュシャン、ポロック、美術と世界、法と暴力……、稀有にして奔放、不羈にしてスリリングな対話は、浅田彰氏をして「この本を読まずしていま作品を制作し鑑賞することができると思う者は、よほどの天才でなければサルである」と言わしめた。
2002年セゾンアートプログラムから刊行され、大きな話題となった旧版はすでに絶版。今回、新規の対談五万字を第九章として増補した。新たに加えられた脚注は五百を数え、掲載図版は三百点に上る。全面的に著者の校閲を経た決定版。岡崎乾二郎装幀。
[本書を推薦します]
■浅田彰氏■
絵を描こうと思ったら白い画布に虚心に対面しさえすればいい??この通念がイデオロギー的虚構に過ぎないこと、「絵画の準備」のためにはそのような虚構こそを粘り強く解体していかねばならないこと、この対話集で語られるのは煎じ詰めればそのことだけだと言ってもいい。ただ、その議論が、ルネサンスから現代、西洋美術から日本美術に至る広い範囲にわたって、たえず具体的な作品に即して展開されるので、読者はつねに新鮮な発見に満ちた議論を追いながら、自ずと凡百の美術書をどれだけ読んでも得られぬ知見を得ることができるだろう。セザンヌやマティスのどこがどう面白いのか、グリンバーグやクラウスは要するに何を言っているのか……。向かうところ敵無しという勢いで縦横無尽に論理を展開し議論をリードする岡崎乾二郎。時に暴力的でさえあるその論理を柔らかく受けとめ、歴史的な細部や感覚的なニュアンスにこだわりながら巧妙に補助線をひいてゆく松浦寿夫。理想的とも言うべき顔合わせによる、これはきわめて実り豊かな対話の記録である。
■いとうせいこう氏■
絵画の問題系をもらさず網羅した濃厚で緻密な対談。語られるべきすべての絵画の、言語形式での完全アーカイブ。このテキスト群はまるで百科全書のように一生涯参照可能だ。
■島田雅彦氏■
人類が言語能力を獲得したのは五万年前。その頃、先祖はどのような言語を用いていたのかは知る由もないが、それが人間や文明を飛躍的に進化させたことは間違いない。アートという営みも言語能力の使い道の一つだった。彼らは食料獲得の時間とは別に芸術品を作る活動を始めた。それは呪術と結びつき、宗教を生み出した。芸術は自然界にないものをつくり出す営みだ。最初は自然界にあるものの模倣から始めたが、模倣した途端にそれは人工物になった。例えばラスコーの壁画に描かれているウシは永遠や無限、祈りが篭った自然界には存在しないウシである。芸術は地域の差異性も生み出した。結果、交易の営みをも促した。人間の能力は遺伝的なものだが、言語や芸術そのものは遺伝的に決定できない何かを作るための手段である。これから絵を描く者は誰でも無意識に先祖の営みを継承することになる。岡崎乾二郎、松浦寿夫両氏は芸術の歴史に深く思いを馳せながら、最初の原則に立ち戻るために言葉の限りを尽くしている。
目次
1 純粋視覚の不可能性
2 代行性の零度
3 無関係性
4 「国民絵画」としての日本画
5 平面性の謎
6 誰がセザンヌを必要としているか(I)
7 誰がセザンヌを必要としているか(II)
8 モダニズムの歴史という語義矛盾
9 メディウムと抵抗