もう、こんなにたくさんの絵のある本は描かないとおもいます。
基本的なことをいうと、文学は、挿絵とは無関係に成り立っています。挿絵に矛盾があっても不思議ではありません。ただし、説明図は別です。この本を例にすれば、ワナのしくみ、先込め式銃の構造、ドアの掛け金などを説明する図などは、言葉で説明することは大変なので、できる限り調べて入れるようにしました。文章で説明のむつかしいことも、図によれば一挙に解決するからです。
英日対訳の場合は、どうしても原文にそった日本語にしなければなりませんが、しかし、原文に忠実であればあるほど、わたしの言葉からは遠ざかってしまいます。そこで今回は、一字一句が正確な翻訳であることよりも、日本語として自然な表現を優先しました。
こういうと、わたしは英語がたいへん得意だ、とおもわれそうですが、せいぜい中学生の程度です。そこで、知人に協力してもらい、わたしは、疑問点をあげて検討したり、読みやすい言葉遣いにおきかえたりしました。
この本の原文はやさしいようでいて、むつかしく、むりにやさしくしようとすると、もっとむつかしくなります。そこのところを、日本の文化や日本語の感性に沿って、やさしくするように努めました。ただ、読みなれた日本語の文章の感覚からいうと、形容詞や同じ語句の繰り返しが多いことが気になりました。
開高健が「文章は形容詞から腐っていく」といっていた名言をおもいだします。
三重になっている形容詞を二重や一重にしたり、繰り返しの語句を少し省いたり、日本人にはなじみがなくて説明がややこしいところは、原文を損なわない程度で簡単にしました。優れた本でも、人によって趣味が違うとおもうほかありません。
これは、百五十年ばかり昔のアメリカの物語です。その国に生まれなくてはわからないほど微妙なことがらや専門的なことも多かったので、その疑問点については、英語圏のひとや専門家の知恵をかりました。
「ランプの灯油に塩を加え、爆発を防ぐ」
という、いまは聞いたこともない生活の知恵についてのくだりも、当時のアメリカの新聞記事などを探してきました。
このほか、寒冷地では室内側にも霜がつくこと、イヌは縄張り意識が強いこと、ミツバチの生態など、友人の竹田津実の知見に、おおいに助けてもらいました。かれは、いまは写真を主にしています。
捕ったシカでも飼っているブタでも、血の一滴まで無駄にしないアメリカの開拓者たち、つまりヨーロッパのひとびとの生活のありかたと、生き抜くための知恵と、そこに芽ばえた文化には頭が下がります。
この本での、紅葉した森のこと、雪に閉ざされる冬のことなど、四季のうつりかわりの描写はすばらしく、森で暮らした人でなければ書けない美しさと厳しさを感じました。
チーズやバターや燻製などをつくる仕事も珍しいとおもいました。そうしたアメリカのかつての生活が具体的に描かれています。雪国のひとたちが、夏の間にしなければならないことは、すべて厳しい冬をすごすためだった、といってもいい過ぎではないとおもいます。
しかしいくつかの、疑問もありました。
この本はローラの生活体験をもとにしたお話で、「茶色のカールと金色のカールのどちらが好きか、聞いてみなさい」と、お母さんがいう箇所は事実だということです、深い意味はないにしても、あれはお母さんの不用意ないいかただったとおもいました。お店の人が茶髪はほとんど無視しても、「お父さんも、おなじ茶髪だった」ということにわたしもすくわれました。
また「赤ちゃんのシカは撃たない。大きくなってからならいい」という考え方は、人間的な優しさなのか、それとも経済的計算の上なのかと考えると、わたしたち人間の側にとって大きい問題です。
それらは、文化の、全く違うところに生まれた、わたしの感想にすぎません。
これらの感想は無視して、この本を読んでいただければ、より、ローラのいうことが伝わるのではないだろうかとおもいます。
二〇一七年二月
安野光雅