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それでも、日本人は「戦争」を選んだ

訂正のお詫び


本書に誤りがありましたので、以下の通りに訂正申し上げます。
読者の皆様にご迷惑をおかけしてしまいましたこと、深くお詫びいたします。
また、本書の誤りをご指摘いただきました皆様に、心より御礼申し上げます。


●32ページ 3行目、6行目/35ページ 15行目/45ページ 16行目
(誤) 代表者がこれを代行し  → (正)代表者がこれを行使し

上記は、2刷以降で訂正いたしております。


●50ページ 1行目
(誤) イギリスの高級雑誌『ザ・タイムズ』  → (正)イギリスの高級紙『ザ・タイムズ』

上記は、10刷以降で訂正いたします。


●50ページ 7行目 E・H・カーについて
(誤)最後の結婚は六七歳のとき  → (正)最後の結婚は七四歳のとき

上記は、11刷以降で訂正いたしております。


●50ページ最終行、51ページ 3行目 E・H・カーの伝記『誠実という悪徳』の原題
(誤)Vice of Integrity → (正)Vices of Integrity

上記は、11刷以降で訂正いたしております。


●164ページ 11行目、165ページ 3行目
(誤)クロポトキン陸相 → (正)クロパトキン陸相

上記は、15刷以降で修正いたしております。


●164ページ 5行目、166ページ 11行目
(誤)ルコイヤノフ先生 → (正)ルコヤーノフ先生

上記は、15刷以降で修正いたしております。


●164ぺージ最終行から165ページ1行目
「ベゾブラーゾフという人物は、日露交渉に責任を持つ部署であった極東総督に任命されてしまう」と記しておりましたが、
これは誤りで、極東総督に任命されたのは、ベゾブラーゾフ一派のエヴゲーニイ・アレクセーエフでした。

同様に165ページ 9行目、170ページ 4行目の「ベゾブラーゾフ」は誤りで、極東総督のアレクセーエフです。

謹んでお詫び申し上げます。
上記は、15刷以降で修正いたしております。


●169ページ 5行目
誤)北緯三八度線が軍事境界線となりますね。 → (正)北緯三八度線【近辺】が軍事境界線となりますね。

上記は、8刷で訂正いたしております。


●174ページ 6行目
(誤)日英通商条約 → (正)日英通商航海条約

上記は、9刷で訂正いたしております。


●183ページ 後ろから3行目
(誤)選挙権者は七六万人に   → (正)選挙権者は九八万人に

上記は、18刷以降で訂正いたします。


●208ページ 7行目
(誤)非選挙権 → (正)被選挙権

上記は、6刷で訂正いたしております。


●223ページ 6行目
(誤)憲政会が与党 → (正)立憲同志会が与党

上記は、23刷以降で訂正いたします。


●225ページ 8行目
(誤)憲政会内閣 → (正)立憲同志会内閣

上記は、23刷以降で訂正いたします。


●242ページ
第一次世界大戦後のパリ講和会議にて、アメリカのウィルソン大統領に失望したケインズは、
「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」という手紙を残してパリを去ります。

この箇所で、手紙の中の「折れた葦」は、
パスカルの「人間は考える葦である」をもじってアメリカを批判しているのだと説明していますが、これは誤りでした。
正しい出典は『旧約聖書』の「イザヤ書」三十六章六節、
「折れた葦の杖を頼みにしているが、それは、寄りかかる者の手を刺し通すだけだ」(『旧約聖書Ⅲ』、岩波書店)であります。
謹んでお詫び申し上げます

上記は10刷で修正いたしております。


●247ページ 13行目
(誤)一九一七年三月、ドイツに宣戦布告 → (正)一九一七年八月、ドイツに宣戦布告

第一次世界大戦に中国が参戦し、ドイツに宣戦布告したのは一九一七年八月でして、
三月というのは誤りでした。大変申し訳ありませんでした。

上記は、13刷以降で訂正いたしております。


●249ページ 7行目
(誤)中国やアメリカが参戦したのは一九一七年二月、三月 → (正)アメリカや中国が参戦したのは一九一七年四月、八月

第一次世界大戦にアメリカが参戦したのは一九一七年四月、中国は八月でした。
大変申し訳ありませんでした。

上記は、13刷以降で訂正いたしております。


●339ページ  9月6日の御前会議の出席者

 (誤)松岡洋右外相      →    (正)豊田貞次郎外相
 (誤)河田烈蔵相        →    (正)小倉正恒蔵相
 (誤)近藤信竹軍令部次長  →    (正)伊藤整一軍令部次長

上記は、4刷以降で訂正いたします。


●344ページ 9行目
(誤)戦争二目年  → (正)戦争二年目

上記は、9刷で訂正いたしております。


●352ページ 2行目 南部仏印進駐の時期
四一年六月に → 四一年七月に

上記は、13刷以降で訂正いたしております。


●372ページ 14行目
(誤)彼こそは真珠湾攻撃のときの総指揮官だったからです → (正)彼こそは真珠湾攻撃のときの【航空隊の】総指揮官だったからです

上記は、9刷で訂正いたしております。


●374ページ 6、7行
(誤)戦艦には【主砲】がついておりますから、飛行機はあっという間に近づく手前で撃墜されてしまう。
       ↓
(正)戦艦には【飛行機を迎撃するための高角砲など】がついておりますから、飛行機はあっという間に近づく手前で撃墜されてしまう。

上記は、9刷で訂正いたしております。


●380ページ 4行目 水野廣徳氏に関する記述
(誤)昭和のはじめに平和思想を説いた海軍の【提督】です。

水野氏は、大佐で退役しており、「提督」とは海軍の将官の階級を指しますので、提督にはあたりません。
誤りがありましたこと、深くお詫び申し上げます。

上記は6刷以降で訂正いたしております。


●387ページ 3、9行目
(誤)第一八軍団  → (正)第一八軍

上記は、6刷以降で訂正いたしております。


●393ページ 13行目
ご紹介している安部公房氏の『けものたちは故郷をめざす』について、9刷まで新潮文庫と記しておりましたが、
新潮文庫は絶版ですので、『安部公房全集』6巻(新潮社)でお読みいただけますと幸いです。

上記は、10刷以降で訂正いたしております。


●396ページ 13行目 吉川亮夫氏のふりがな
(誤)すけお → (正)あきお

上記は、6刷以降で訂正いたしております。

大変申し訳ありませんでした。謹んでお詫び申し上げます(編集部)。
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