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西川美和氏・評   (読売新聞 2007年9月25日)

◇夢と睡眠の謎を解く

 今朝もまた、苦々しい夢を見た。高級料亭で映画界の重鎮の男にこき下ろされた私は、「ならお前が撮れ、バカ」と一度は大胆に噛(か)み付いたものの、重鎮が逆上したのを見て急に怖くなり、結局は卑屈に土下座して謝っていた。
 目が覚めて考えてみると、男はテレビで見かける辛口コメンテーターだった。高級料亭は、昨夜DVDで観た「白い巨塔」の中で医者達が会合を重ねる料亭のセットそのもの。しかし夢の中の私はそんなことは全く分析出来ず、仕掛けに騙(だま)されるがままになっていた。
 睡眠研究者である著者によれば、健康な人のこのような夢の中の状態と、精神疾患や認知症の人が日常的に経験する錯乱状態はそっくりなのだそうだ。どちらもそれが幻覚だと見抜く力を失っている。この本では、夢を見ている時、私達の脳の中で何が起きているかを知ることで、「狂気」として括(くく)られ、恐れられる行動を理解していこうという試みがなされている。
 ノンレム睡眠で深く眠り、レム睡眠では夢を見ながら浅く眠るという認識くらいしか私はなかったが、そのレム睡眠中に、脳内では健康な生活を保つための重要なシステムの交換が行われるらしい。注意力や記憶力などを司るアミン系の神経物質を休ませ、代わりに幻視や情動を引き起こすアセチルコリンが台頭する。奇天烈(きてれつ)なシチュエーションの不条理に気づかないのも、泣き喚(わめ)くほど怖い体験をして飛び起きたのに小一時間もすれば忘れてくるのも、注意力や記憶力を支える「アミン」が翌日に備えて非番だからというわけだ。
 不思議に思っていた夢と睡眠の謎が次々と解き明かされ、“目からウロコ”の連続だ。重度の理系音痴で脳科学の本にも不慣れな私は、カタカナの化学物質の名前に出くわすたびに夢の世界へ誘われたが、夢は作話の天才という。脚本のアイデアも冴(さ)えないし、今日もそろそろお力を拝借しようかな。池谷裕二、池谷香訳。

◇J.Allan Hobson=1933年、米国生まれ。ハーバード大医学部教授。

評・西川美和(映画監督――映画『ゆれる』脚本・監督)