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養老孟司・評   今週の本棚(毎日新聞 2007年7月29日)

◇「錯乱としての夢」から脳に迫る

 脳に関する本は、最近ではたえず出版される。脳に興味を持つ私でも、すべてに目を通す暇がないほどである。二十一世紀は脳の世紀という時代の要請もある。新しい研究方法が確立してきたこともある。おかげで研究者が増え、脳についておびただしい数の研究が行われるようになった。
 本書の著者は日本流にいえば昭和八年生まれ、脳研究ではいわば古い世代に属する。ハーヴァード大学医学部教授で、精神医学の臨床家であると同時に、夢と睡眠の研究でよく知られた人である。
 表題のおかげで夢についての本だと思うかもしれないが、かならずしもそうではない。むしろ脳と意識に関する著者の基本的な考え方を、夢を中心において語ったものである。そういう著者だから、まったく新しい知見を求めようとする読者には向かないかもしれない。そのかわり脳についてまっとうな理解を深めたいという一般の人には、たいへん向いた本ではないかと思う。
 夢とはなにか。錯乱である。著者はそういう。夢を見ている状態が覚醒(かくせい)時に起これば、病気と診断される。もちろん夢は病気だというのではない。著者は病気の診断に使う精神機能検査を、正常人が実際に見た夢に適用することを試みる。夢を見ている状態では、識覚は明瞭である。しばしばはっきりと世界が見えているからである。しかし見当識は多少とも傷害されている。時間、場所、話の筋書きがしばしばおかしくなる。思考を自分で方向付けすることができない。記憶は断片化し、作話が生じる。つまり記憶の重要な部分が抜けていると、その部分を作って埋める。こうしたことは多くの精神神経疾患で起こる症状である。
 なぜそんな奇妙なことを考えるのか。そうした角度からの理解を深めていけば、病気の理解も進むはずではないか。多くの人は精神が錯乱した状態を、正常とはまったく切り離された別種のものとして考えがちである。それは間違いである。ふつうの脳に元来ない状況が、たとえ病気だといっても、出てくるはずがないからである。
 カゼをひいたら「熱が出た」という。厳密にはこの表現はおかしい。ふだんから「熱はある」。体温がわずかに高くなっただけではないか。脳のはたらきについても、じつは話は同じであろう。
 著者は心と脳を強いて区別しない。現代ではこれは常識に近いであろう。脳の変化によって、いわゆる心と呼ばれる機能も変化する。著者はそのことを、脳内での化学物質の変動とからめて、総括的に説明する。この部分は現代ではずいぶん詳しい知識が得られるようになった。それでも本書の記述は全体的な説明としてわかりやすい。
 脳のはたらきの化学的な説明のあとで、著者はいう。「私が薬の処方をためらう理由の大部分を占めているのは、ほとんどの薬を処方する時に、自分がしようとしていることの意味を本当のところわかっていないからである」。さらにその薬が強力で、より有効だと考えられるなら、ますます慎重になる、という。「自分がいかに無知で、そして、学ばねばならないことがいかに多いか測り知れない、と痛切に思われるからだ」
 基本的には、こういう医師のいうことを私は信用する。この薬を処方してくれと、自分からいう患者が多い現代では、それでは医師として、仕事にはならないのかもしれないのだが。